第8回コピー大学賞

第8回コピー大学賞の受賞作品が発表されました。

 

award.copywriter-college.com

 

課題:公共広告
生きていることの素晴らしさ、楽しさを伝えるキャッチコピー
課題提供:コピー大学

 

グランプリ

☆それでもちゃんと生きている。

北島 由美さん

 

コピー大学奨励賞

☆あぁ、この瞬間も、生きている。

伊吹真さん

 

☆人生って、神様が私にくれた自由時間。

江島ゆう子さん

 

惜しくも賞に入らなかった作品の中にもキラリと光るいい作品が多数ありました。

☆生きるって、超イケてる!
☆生きているだけでスリル満点
☆死ぬほど生きてみたい

これらの3作品は、一般投票においてもほぼ同数の得票数であり、そういった意味では、世間も認めてくれた作品といってもいいでしょう。とのこと。

 

応募総数は984作品だそうです。

私も応募していましたが、受賞どころか、「惜しくも賞に入らなかった作品の中のキラリと光るいい作品」にすら入れてないという事実にガックリです。

気を取り直して、自分の応募した作品を挙げ、受賞作品の分析を行いたいと思います。

  1. ひとりで生きてるひとは、1人もいない。
  2. 答えがないのが人生だ。
  3. ひとが生きて、ひとが生まれる。
  4. 生まれたての赤ちゃんは、泣くことしかできない。あなたは今何ができますか?
  5. 鼓動と一緒に生きている。
  6. みんな、どこかでつながっている。
  7. あなたは、世界というジグソーパズルの1ピース。
  8. 冬の朝の二度寝、ができる。
  9. カラダはいつだって生きようとしている。
  10. 昔の人が空想した世界を、いま生きている。
  11. 写真は色褪せても、あなたの目が映したものは色褪せない。
  12. 本当はくっつきたがりなのが、人間。
  13. 生まれた時は、泣いていた。今は笑うことを知っている。
  14. 振り返ると、自分の軌跡。
  15. 似ている人はいても、同じ人は、ひとりもいない。
  16. 回り道、上等。
  17. 生まれ方は選べないけれど、終わり方は考えることができる。
  18. 生きる、に正解なんてない。

以上、応募した18コピーです。

自分の中では、本命3、対抗5、穴8です。

 

本命:ひとが生きて、ひとが生まれる。

子供が生まれる、という物理面だけでなく、他の誰かが生きているからこそ、「自分」という「ひと」が生まれるのだ、というニュアンスを込めました。シンプルに。

 

対抗:鼓動と一緒に生きている。

生まれてから、いままで、鼓動とずっと一緒なんですよね。わくわくして鼓動が高鳴ったり。眠りにつくときやけに心臓の音が響いたり。忘れがちなことを「そういえばそうだな」と思ってもらえるようなコピーとして考えました。

 

穴:冬の朝の二度寝、ができる。

生きているからこそ、冬の朝の二度寝ができるのです!!(笑)

休日の冬の朝する二度寝は気持ちいいですよね。

ええ、その時、生きているって素晴らしいと思います。(少なくとも私は)

一見バカみたいな内容だからこそ、句点の打ち方に工夫しました。ふつうは「二度寝が、できる」ですよね。でも、「冬の朝の二度寝」を強調したかったので、上記の位置に句点を打ちました。

これは宣伝会議の講義で、なるほどなぁと思ったことを取り入れた結果です。

公共広告に二度寝とかはチャレンジングすぎたかもしれません。だから自分の中でも「穴」なんですけどね。

 

さて、受賞作品に戻りますが、特徴として三作品中二作品に指示語が入っています。

「それでも」ちゃんと生きている。

あぁ、「この瞬間」も、生きている。

(コピーを読む人に「それ」「これ」の内容に関して想像の余地があるように、という工夫が感じられるような気がします。)

 

人生って神様がくれた自由時間。

(パンダのキャッチコピーで、神様が作ったぬいぐるみ、と作ったひとがいたという話を思い出しました。)

 

生きるって、超イケてる!

 (…イキるとイケてるのごろ合わせ?)

 

生きてるだけでスリル満点。

(個人的には、誇張表現な印象が否めないです。あまり、共感できません。生きてるだけでスリル満点だと思っているひとが、どれだけいるでしょうか。ただ、ビジュアルでカマキリとテントウムシ/社長と平社員みたいな写真と一緒に並べたら面白そう、と思いました。)

 

死ぬほど生きてみたい。

(個人的には、生きることの素晴らしさ、楽しさを伝えているかに関しては、?が残ります。死ぬほど生きる、という表現は逆説的で面白いのかもしれないですね。)

 

以上。習ったことを活かすには、実践&継続あるのみです。

①コピー内ですべてを表現しようとするのでなく、読み手の想像の余地も考える。